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1965年7月 北九州市小倉で生まれ

小倉祇園太鼓の音色と七色のスモッグと言われた煙に囲まれて育った
小さな頃から兄に連れられて小倉城のお堀や池で鯉釣り、ザリガニ釣りをした
小学生になると紫川(地元に流れる川)の上流でハヤ釣り、家からすぐの小倉、門司の海岸で
キスやカレイ、アイナメなどなど食べてもおいしいお魚を釣り楽しさにはまる



昭和59年から5年間学生生活を東京で!
と、いっても大学の教養部は東京のはずれの八王子にあり下宿先のアパートは一面田んぼに
囲まれた場所にあり、あまりの田舎ぶりに愕然とする(笑)
ここは憧れていた東京ではないぞ〜〜



それでも持ち前の?!順応性の早さでお隣さんら(別の大学)とお友達に
お隣さんは東京造形大学の方でお互いお酒好き、騒ぐのが好きと意気投合し大いに遊んだ
そのお隣さんの大学の友人らとも良く呑んで騒いで議論したっけ(笑)
が、今考えると物つくりや美的センスなどは色々と彼らから知らず知らずのうちに教わり
その後のハンドクラフトへの道へとつながっていたのかもしれません

卒業後お隣さんと再会する機会があったが、
お隣さんは幾つもの賞をとるほどの空間デザインを手掛けるデザイナーに
その友人は有名な童話作家に



学生時代はバイク一筋でソロツーリングで奥多摩や信州へよく行った
綺麗な川も数多く見てきたが渓流釣りという発想がおいらには全く無く
今から思えばあの当時からやっていたら相当な有名人になってたかも(笑)
などという、ばかばかしい想像も



大学卒業後地元北九州の某百貨店に就職
売上、仕入、在庫、益率益金という商売の基本を叩き込まれた
今思うとお金をもらって商売のノウハウも教えてもらってありがたい事だったと
一度の人生もっと色んな事を経験したいという思いが強く退社


私の発想は「大きな歯車の小さな歯 より 小さな歯車の大きな歯 になりたい」
だったので釣り関係のほんと小さな会社で九州中を日々4tトラックに荷物を載せて走り回る
やりがいはほんとにあったし成果も出てきたが身体に無理がたたり腰痛に悩む
身体のことを考え2年で退社



その後小倉でリサイクルショップを4年間経営
その時にハンドクラフト(ランディングネット製作)を始める(ふ〜っ、ここまで長かったなぁ)
多くのクラフト仲間と出会い、刺激を受け、教えを請い、多くを学び
作品つくりを続ける


2007年から、念願だったバンブーロッド製作も始める
クラフトの奥深さを再認識しつつライフワークとすべく
製作に勤しむ日々



好きな言葉

「継続は力なり」